メランコリックな人? エニアタイプ4 

  • 2015.01.14 Wednesday
  • 20:51
04:メランコリックなタイプ  

完全主義者はときに憂鬱に沈み込む。

自責の念にかられ、自己嫌悪の状態になるのかもしれない。

しかし、完全主義者のメランコリーは、創造的メランコリーとは別物だろう。

憂鬱な面持ちをしたタイプに移ろう。

メランコリックなタイプ。

多くの人が経験していることだと思うが、思春期の頃の内面は不安定だ。

些細なことで感情が揺れ動く。 ふさぎ込んだと思ったら、ちょっとのことで感動する。
メランコリックなタイプを、思春期の自我を持ち越したタイプと言ってもいいだろう。

十八世紀ドイツでシュトルムウントドランク(Strum und Drang)という文学運動が起こった。十八世紀後半に見られた文学運動で、理性に対する感情の優位を主張。 ゲーテの『若きウエルテルの悩み』は、その代表作とされる。

日本語では「疾風怒涛」と訳され、大荒れのイメージだが、言葉の意味は嵐と焦土ということで、内面に吹き荒れる感情の嵐とでもいおうか。
 
思春期から青年期にかけて、[自分は誰?]という自分への問がもたげることがある。「自分探し」というのが始まる。自分は他の人と違っているのではないだろうか。自己の内面に関心が向かう。内向的になりやすい。

ユングの内向・外向タイプに話を戻すと、この時期、内向的になる人は多いだろう。
それで、自分は内向型だと思う。(わたしだって思った)

いかに外向的なタイプであろうと、ときに内向的になることもある。100パーセント外向的な人間などいない。誰だって、自分のなかにひきこもるときがある。
 
ここで取り上げるタイプは自己の内面の感情に関心が向かう。感情は常に揺れ動き、自分自身がその波に翻弄される。  このタイプにとっては自分がどう感じているかに関心が向かい、そのことに敏感である。

自分自身に関心を向ければ向けるほど、他者との違いが気になってくる。のみならず、自分は他の人と違っているのではという意識を強く持つようになる。  

自分=感情ととらえやすく、そのときどきの感情に振り回されて、自分で自分のことがよくわからなくなることがある。  このタイプの男女は周りの人間から、「気分屋」とよばれているかもしれない。とりわけ、身近な家族や友人、恋人ならわかりやすいだろう。    

完璧主義者が完全さの見取り図を持ち、その欠けたところに意識が向かいやすいのに対し、メランコリックなタイプの意識は過去へと向かいやすい。  

過去をあたかも現在のように思い出す。だが、その過去は感情のトーンをともなった脚色をされ、一つの物語となって甦ってくる。  

このタイプの人にとって、過ぎ去った日々はいま現在よりも色鮮やかに見えるかもしれない。あるいは過去はセピア色の思い出か。過去は何らかのストーリー性を帯びてよみがえってくる。  

過去は美化される。過ぎ去った日々はもはやは手の届かないところにあるからこそ美しい。 過去への憧憬、郷愁。  過去の物語は繰り返し、繰り返し語られる。  

しかし、それは真実の物語だろうか・・・。  

手の届かないもの、失われしもの、移ろいゆくものこそ、美しい。 人生そのものが、移ろいやすい。別れや死に彩られている。  エニアタイプ4はしばしば芸術家というニックネームで呼ばれてきた。 しかし、とらわれのなかでは、タイプ4の特性としてのメランコリーは必ずしも創造性とつながっていない。  

このタイプに見られる独特の表現は、きわめて陳腐なものになることもあるのであり、どのタイプにおいてもいえることだが、性格と才能はイコールではない。  

ところで、「自分は特別である」という思い込みは、他者を陳腐なものとする。俗物とみなす。  

エニアタイプ4は、いくらか憂鬱そうな人。いくらか憂鬱な気分のほうが自分らしいと感じるだろう。  

ある種の気難しさがあり、周りの人間に自分の機嫌を取らせようとする。たとえば、皆が楽しそうにしていれば、自分はため息をついてみる。誰かが、それを見て、「どうしたの?」と慰めてくれるかもしれない。

<真に創造的となりうるために>  

ユングは言う「夢想のなかにひそむ価値を引き出すためには夢想を発展させなければならない」 「よいアイデアや創造的行為は、すべて想像に由来しており、しかも幼児的夢想と呼ばれているものに起源をもつ。夢想という力動的な原理は遊び」「素材のままではまったく利用できない」(タイプ論)

エニアタイプ4においては、タイプ1が統合の方向と呼ばれる。タイプ1のもつ強みは、課題中心性である。 すなわち、なすべきことをなす。
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