エニアタイプ3 ステータスシーカー

  • 2015.01.21 Wednesday
  • 01:34
03:ステータスシーカー

「成功」という言葉がカギになる。目標達成志向が強く、成功を求める。

 ユングの分類でいえば外向型。エニアタイプではタイプ3と呼ばれる。

 理想化された自己像への愛。

「SNSで自分盛り」・・・ソーシャルネットワークサービスの発達で、自己の活動を写真つきで、しかもリアルタイムにアップできる。「自分盛り」とは、自分を実際以上にカッコよく見せること。現代のとらわれのタイプ3には、自己イメージをたっぷり盛り込み、自分をひけらかすためのかっこうのツールである。

 しかし、そのアクティビティに“内実”がなければ、ひけらかしの意図を見抜かれ、「自分盛り」と言われてしまうのだ。

 エーリッヒ・フロムによる、指向性の問題。市場指向性。近代史上の発展に伴うもの。人格市場において自分をどのように演出するか。

 成功するためのモデル像を見つける。雑誌、新聞、テレビ、映画、ビジネスの成功者。ポスター、広告。

市場型の人間は、外向的なタイプであり、外界に適応するために思考を使う。
が、それは論理的な思考と言うよりも、合理的な思考である。論理的思考を「思考」と言うならば、市場型の人間の思考は論理的というよりもイメージコンシャスである。

本来の思考は、”効率的“ではない。

ち密な思考を構築するならば、論理的矛盾をきたすことは耐えがたいが、イメージコンシャスなものは、必ずしも論理の整合性にこだわる必要はない。そこにはいってくるのは、ごまかし。とらわれの要素である。ごまかしということ。

 図解で見せるが、論理的に込み入った説明はできない。説得力はあるが、その人が喋っていることを録音し後で着てみると、目の前で話されていた時ほどのインパクトはなく、中身の軽さが目立つ場合がある。

 タイプ3が本を書くなら、名声のため、売れる本、しかし書くのは自分ではなく、なぜならそれは効率が悪い、ゴーストライターに書いてもらうのが効率がいいと考えるだろう。

 ホーナイでは、自己愛的という。理想化された自己像への愛。賛美する。自信に満ちているように見える。

 賞賛を求める。相手に良い印象を与えなければならない。お世辞、特別扱い、賞賛、お返しを受けられるという予想のもとに行動。

 ユングの心理的類型にはエニアタイプ3の性格学的型は見当たらない。ナランホでは、「よく発達した感覚と思考力を持つ外向タイプ」ということになる。

 「顧客に売りつけるために使う」現実主義者。手段を正当化するために目的を持ち出す。優れた企業家。周囲に人が集まっていれば、自分中心に人が回っている。

 成功を求めて駆り立てられるところには、失敗への恐れがある。自分が無価値であることへの恐れがある。

 仮面を外して、自分の本当の顔を見せたら受け入れてもらえるだろうか。

 カメレオン、模倣。より輝きを増すための努力をする。

 成功へ向けての努力は、富と地位の追求に。合理的、実際的、効率的。自他の活動を組織化。とらわれのエニアタイプ3は、計算高く、目的のために手段を択ばないことも。自分自身だけではなく他者を踏み台にすることも。

 競争心が強い、冷酷、効率よさ、ごまかし、自分を偉く見せる。イメージ操作。社交的な才能。演技。

 自覚的には自己の感情の深いところに触れていないという感覚。

 シェルドンのいわゆる中胚葉型。クレッチマーの闘士型の体型がタイプ3の活動的で精力的な特徴を支えている。

 特にアメリカ文化ではサクセスストーリーがもてはやされる。フロンティア精神に基づき、ビジネスの世界、ハリウッドのショービジネス。富豪になること、アメリカンドリーム。巨万の富を得る。そういう人々が成功者として羨望の的になる。

 政治。経済、アカデミズム、美容、ファッションあらゆる分野で、「成功者」こそが、価値が高い人間とされる。成功を求める、そして同時にそのシンボルであるステータスシンボル。

 ステータスとは何か。目で見てわかる。属する社会、時代の価値観が、それを成功のシンボルだと認める。物質的な価値観である。誰が見ても分かるシンボル。そういったものを手に入れようとする。
 
※ゲームの世界でのステータスとは、ロールプレイングゲーム(RPG)などのキャラクターの状態を表すデータの事。IT分野ではシステムの現在の状態を指す。

 高級乗用車、豪邸、別荘、高級会員制〇〇、高級ブランド、ショップ。高価な宝石。名声、それに伴う経済力、地位。学歴など。

 アメリカ文化がすでにタイプ3的である。

 市場価値と人間的価値が同一視されている。それは他者を値踏みすることにもなるが、自己の価値を「成し遂げたこと」で測ることになる。

 自分自身が値踏みされる。

 自分で自分を値踏みし、より価値のあるものになろうとして成功へと駆り立てられる。

 自分の外にあるものに関心を向け、できるだけ価値あるものを求めるタイプ3が外向型であることは確実である。タイプ3は自らの内面に向かわない。
社会的に価値あるとみなされているものを所有する人間が価値ある人間と言う思い込みがある。それがなぜ、思い込みなのか理解できないことすらある。

 タイプ3にとって他の価値観は重視されない。しかも、それはひそかに自分のなかにあるものではだめなのだ。人に認められること、賞賛されることを必要としている。

 ひけらかし

 このタイプは自分自身をひけらかす。いいものとしてひけらかす。魅力的で有能であるという自己イメージがあり、その自己イメージ通りに見られたい。自己主張的なタイプであり、アグレシブでもあるが、あからさまに他人を攻撃することはない。あくまで自分をよく見せたい。心の中で思っていることと、まったく正反対のことでもいえる。

 ウソ、欺瞞。それだけ適応性があるともいえる。

 ひけらかしは人間だけではない。動物でも自分自身をひけらかすことがある。それは発情期の求愛ディスプレイだ。動物ではとりわけオスがメスの気を引くために外見が目立つ色に変わり、またメスの前での独特の行動をとる。

 まさに、市場型人間のひけらかしは、このような求愛ディスプレイにも似て華やかで目立つ。それによって異性のみならず、他者の関心を惹きつけようとする。

 それゆえ、とらわれのエニアタイプ3は加齢による容色の衰えはとりわけ恐ろしい。男性の場合は、それに代わる地位や経済力で補おうとするかもしれないし、女性の場合、なんらかのキャリアを持たなければ、容色の衰えをいかに防ぐかは人生の大問題になるかもしれない。
 化粧品、美容整形は、自己をひけらかすタイプの人々、とりわけ女性を虜にする。それも「セレブご愛用」がよかろう。

 このタイプはイメージコンシャスであるゆえに、イメージを大事にする。誰かとお茶を飲むにも、ファストフード店ではいけない。ホテルのラウンジでなければならない。食事はうどん屋ではいけない。高級感のあるレストランなどでなければならない。うどん屋なら、高級うどん屋か。

 そうすると、行動の一つ一つ散財することにもなる。経済的には見かけより苦しいということが大いにありうる。
 人として成功・達成動機が強いことは「善し」とされている。ベストセラーとなった数々の自己啓発本は、物質的な成功を謳っている。

 ステータスシーカーは人生で成功を目指し、それに駆り立てられて行動する。よく、自分を機械か何かのように譬える。車もガソリンを入れなければ動かない。メンテナンスが必要だと。

 エニアタイプ3のとらわれは、荒野で40日間の断食をおこなったイエスに対するサタンの誘惑の言葉のなかにある。イエスはサタンを退ける。

 目標達成志向そのものは個人の仕事や物事を行う動機として作用する。スポーツ、芸能、学術すべての世界で、目標達成志向は努力の源になりうる。周りの者を鼓舞することにもなる。

 ステータスシーカーは“一流”を目指す。

 エニアタイプ3は、「ほめられたい」という気持ちが強い。エニアタイプ4のようなメランコリックなタイプの場合、自分が特別扱いされることを望むが、それは自分の感性にうまくフィットするものでなければ受け入れられない。
 ステータスシーカーの場合は、「ほめられる」のはもっとあからさまでなければならない。特別扱いは、「自分がいちばん」でなければならない。自分が達成したこと、外見的魅力、持ち物その他についてほめられること。

 ほめられたい、承認の欲求。子供のころにさかのぼれば、勉強、稽古事、スポーツ、そのために生徒会長に応募する、一流大学を受験する。
 それは誰にでもわかりやすい、目に見える“成功”でなければならない。

 子供がほめられたいのは母親である。母親的な存在から、ほめられることを期待している。エニアタイプ3の「承認欲求」は、それはつまり、愛されたいことの変形である。

 ステータスシーカーの内面には、母親の愛を勝ち取りたいという欲求がある。ほめられるようなことをすれば愛される。愛されるためにはほめられるようなことをしなければならない。いい成績を取ればほめられる。賞をとればほめられる。スポーツで一番になればほめられる。他の子より抜きんでていれば、愛されると錯覚する。

 その欲求が大人になると、成功に駆り立てられる。その深層には「愛さたい」欲求がある。しかし、成功そのものは、愛ではない。いくら成功し、賞賛されても、愛が得られたという確信は持てない。ゆえに、とらわれのエニアタイプ3は、無意識のうちにさらなる成功へと駆り立てられる。成功を勝ち得ていない自分は愛されないのではないか、価値のない人間なのではないかという恐れがある。

 ステータスシーカーはそれゆえ、十分に満足することがなく、際限なく成功へと駆り立てられることになる。
不思議なことに、周りから地位・経済力もあり、社会的には成功している人のうちに数えられる人の中に、学歴詐称が発覚したり、不名誉なことが発覚することがある。自己の価値に対する誤った思い込みととらわれがある。

 とらわれのエニアタイプ3は、自らをも欺く。自己の価値についての、誤った思い込みがある。その内面は空虚だ。

 タイプ3は感情センターのタイプだが、自分たちが「適切な感情」とみなすものだけが表現される。

 タイプ3の内的空虚。ナランホに従えば、タイプ3、またタイプ9が抱えている問題は、精神病理というよりも「霊的な」病理である。内的なものとの真の霊的体験の喪失。

 自らの内部を見るために立ち止まることができない。

 市場型のイメージコンシャスな人々は、イエスと金持の青年の話を思い出させる。

 青年は自らの所有物を捨てることはできなかった。


<解放への道>

 必要になってくるのは自分自身に向き合うワーク。

 人からの賞賛をひきだすことではない。

 自己の内面に取り組む。
  
  例えば何かに「感動した」というなら、感動の中身を自分のことばで語れ。
 自分が本当に感じていることを語ってみる。

 しかし、とらわれのタイプ3は、自分の言葉で自分の感動を語ったら、それがほんとうに
周りからの賞賛をえることのできる内容かどうか、自信が持てないのではないだろうか。

 だから、ベストセラー、○○賞、賞賛されるべき○○の人物の○○という一般に
わかりやすいコードを用いる。しかし、それはかえって内容の薄っぺらさを暴露してしまう。

 自分の胸のうちの真実に触れることをおそれてはならない。
 


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◆ブドウ園の労働者の譬え マタイ20章

ブドウ園の雇い人がブドウ園で働く日雇い労働者を集める市場(アゴラー)に行き、自分のブドウ園で働かないかと労働者を雇う。夜明けと同時に行って、1日働けば、1デナリオンを支払うと。

1デナリオンは、労働者とその家族がようやく一日の生活を維持できる程度の価値。

ついで、午前9時ごろ、さらに正午と午後3時に出かけて、労働者を雇う。。この雇い主が1デナリオンの報酬を明確に約束したのは最初の労働者に対してだけ。それなり、賃金について何もいっていない。

最後に午5時ごろにいって、まだ市場に立っている者がいることに気が付いた。雇い主は聞く。なぜ君たちはここで一日中、何もしないで立っているのか」と。

「誰も俺たちを雇ってはくれないから」

市場は失業者であふれていた。彼らは、日雇い労働者として生活している。仕事にありついた者はまだ人間扱いされていたが、仕事にあぶれたものは、極貧者として、特に当時の宗教的エリートであったファリサイ派の人々から、「罪人」のカテゴリーに入れられた。彼らは好んで「罪人」になったのではない。誰も雇ってくれないから「罪人」にされた。

午後6時頃、労働者に賃金が配られた。賃金はその日のうちに、日没前にしはらわかなければならないことになっていたのだそうだ。当時の人たちにはなじみの習慣。

最後の者から順に支払われた。午後5時に雇われた者たちが1デナリオンずつもらった。

1時間しか働かなかったものに1デナリオン支払われるなら、もっと多くもらえるだろうと。早くから働いていた者は思っただろう。

しかし、結局1デナリオンしかもらえなかった。

そこで、長い時間働いた労働者が異議申し立てをする。憤懣を口にする。最初にやとわれた労働者たちだ。

夕方まで怠惰に過ごしてきた者たちには思いがけない寛大な処遇。最初に働いた者にそういう仕打ちをする雇い主に憤激する。

だが、雇い主の返事は「自分は不正を行ってはいない」と。最初に雇われた者には、1デナリオンの約束をしたではないか。

雇人はいう。

「わたしが好きなようにするのがいけないのか」

最初から働いた者は、寛大な処遇を受けた者たちと比較して、自分たちが受け取る報酬をもっと吊り上げたい。

しかし、もらったのは1デナリオン。もし、そういうことがなかったら、受け取った1デナリオンで満足し家路についたはず。

異議申し立てをした彼らに襲いかかった危機は、自己認識の危機。

「きみの目が邪(よこしま)なのは、私が寛大だからか」

業績主義の論理が覆い尽くす人間世界。それとは独立に働く善意や寛大さ。

雇人はいう。

「自分のものを自分のしたいようにするのは当たり前ではないか」

◆参考資料:『イエスの七つの譬えー開かれた地平』川島重成 三陸書房
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