エニアグラムのルーツ 心理的レベルを超えて

  • 2015.01.14 Wednesday
  • 11:52
以下エニアグラムアソシエイツのHPに掲載した文章に、付け加えた内容がある。

<エニアグラムのルーツ>

20世紀初頭、コーカサス地方の生まれの神秘思想家グルジェフは、中近東からアフリカの奥地のどこかにある修道院、人里離れた修道院のどこかで、この図を見つけたという。エニアグラムと呼ばれるこの図は、グルジェフ以前、いかなる文献にも見出されない。
ときは20世紀初頭、フロイトが無意識の発見をしたころ。20世紀最大の発見は、無意識の領域を発見したことだと言われる。
そのころ、ヨーロッパでは交霊術や催眠術が流行していた。
グルジェフは、人間に可能な進化発展のための知恵を求めて、アフリカ中近東を旅していたのだという。失われた知恵が古代に栄えた、かの地に眠っていると考えたのだ。

グルジェフがヨーロッパ社会にもたらしたエニアグラム図は1960年代になって、南米ボリビア生まれのオスカー・イチャーゾによって、性格分析のツールとなって甦る。イチャーゾの経歴は詳しくわかっていない。グルジェフから学んだという噂もあるが・・・
イチャーゾも神秘思想家であり、当時南米チリで自ら見出したと称する性格分析について教え始めた。当初、イチャーゾはプロトタイプアナルシスと呼んでいたらしい。図はエニアグラムではなくエニアゴンと呼び、これに人間の陥りやすい感情傾向を9つに分裂し配置した。

イチャーゾのエニアゴンは、当時彼のところで学んだ北米の人々に大きなインパクトを与えたらしい。イチャーゾの弟子であった、クラウディオ・ナランホは、現代心理学を学んだ心理学者であり精神医学者であったが、彼はイチャーゾのエニアグラムを北米に持ち帰り、勉強会を始めた。後に広がるパーソナリティシステムとしてのエニアグラムは、おおむねこのナランホのところから広がったとみてよい。

当時、1960年代のアメリカの時代的背景を見てみよう。ベトナム戦争の後遺症・西欧的合理主義の行き詰まり・東洋への関心・変性意識状態への関心・・・。

日本に初めて(公式に)エニアグラムが紹介されたのは、パトリック・オリアリー、ビーシングの『エニアグラム入門』の邦訳が春秋社から、鈴木秀子氏監修で発行されたのが最初。

その初版のあとがきを、トランスパーソナル心理学を日本に紹介した吉福伸逸氏が書いておられる。そこに、エニアグラムが登場する時代的背景が語られている。改訂版も出ているが、そこには吉福氏のあとがきは省略されているのが残念だ。

さて、クラウディオ・ナランホのもとで、エニアグラムを学んだ人々に、カトリックのイエズス会士がいた。そこから、イエズス会の人々の間でエニアグラムが広まっていく。先の本はイエズス会の著者たちによって出版された。

また、ナランホのもとで学んだ人にヘレン・パーマーという人がいる。そして、この人もエニアグラムに関する本を書いている。イチャーゾのエニアグラムは、それ自体現代広まっているエニアグラムのように整理されたものではなかったらしい。1970年代に、個人の自己啓発、対人関係改善のツールとして、北米で急速に広まることになったエニアグラムは、ナランホが現代心理学・精神医学と対応させ、現代人に理解しやすい形で伝えたことに端を発しているのだろう。

さて、カトリックグループの流れをくむエニアグラム研究者・指導者にドン・リチャード・リソがいる。リソはイエズス会出身だが、エニアグラム研究のために生涯をささげることになる。1970年代。

人格類型学、性格類型論としてのエニアグラムが、一般に広く流布することになった端緒は、クラウディオ・ナランホという人物にある。以下の内容は、ナランホの『性格と神経症』出版に寄せてのフランク・バロンと言う人の序文と著者序文より・・・。

ナランホは南米チリ出身の精神医学者で、1962年、フルブライト奨学金を得て、バークリーに行く。イリノイ大学で、レイモンド・B・キャテルから因子分析を学び、人格の諸相に関する研究を行っている。ナランホはコロンビアのアンデスの密林に住むインディオが行っている宗教儀礼についての現地調査に出かけている。コロンビアのインディとの生活の後、サンチアゴの自宅に戻る。類型学的心理学者であり精神科医である。彼は人格と人間のタイプの研究に約20年間没頭する。

彼は人間のタイプに興味を惹かれ、ユングにも惹かれる。性格と神経症の執筆に当たって、ウイリアム・シェルドンの思想と研究に習熟。人間の気質の三つの領域、胎児の最初の細胞の三つの層に由来する身体構造に密接に関連しているというシェルドンの考え方を引用。

また、グルジェフの影響によって、インスピレーションを得ている部分もある。グルジェフはエソテリック・スクール「人間の調和的発展研究所」の創始者。ウスペンスキーというジャーナリストらによって、主に世に伝えられた。

シェルドンの研究が数学的誤りと方法に関して批判され、ナランホは因子分析の研究第一人者英国ハンス・アイゼンク、米国のレイモンド・キャテルの論文を読み漁る。
ゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールの影響を受ける。ナランホの治療法にもっとも大きな影響を与えたのは、ゲシュタルト以前にはホーナイの治療法だった。

1969年 知的探求の旅へ。スーフィーの師、体験重視の指導法。グルジェフの第四の道と呼んだエソテリックキリスト教の研究に没頭していた霊的指導者オスカー・イチャーゾと接触。イチャーゾの指導の下でアリカで長期間隠遁生活を送り、「深い変容」を体験。それは「自然に生じるものとして、この能力を身に着けるようになった」という。ナランホは、アリカで過ごし深い瞑想から得た変容の余韻として、他者の人格構造を見通すことができるようになったのだそうだ。

※クラウディオ・ナランホに関しては、『性格と神経症』(Character and Newrosis:An Integratie View)の内容を基にしています。

・・・・ここからが、このブログで付け加えた内容。

エニアグラムの9タイプは、自我構造を明らかにする。私たちの自我は、意識的な自我(これがわたしという意識にのぼってくるところ)、潜在的な自我(ふだん意識にはのぼってこないが、ときどきいしきにのぼってくる)、無意識的な自我(無意識の層に沈んでいる、ふつう意識に上ってくることはない)の三層があるが、リソ&ハドソンは内意識的な自我から、潜在意識、無意識の層の構造を、超自我との関係で説明する。心理構造の概念を構築。

超自我の問題は、「内なる批判者」として、それがどういうものであるかに焦点をあてることによって、変容へのワークにつながっていく。


昨年から、27のサブタイプについて取り組んでいるが、リソ&ハドソンの27タイプのネーミングの他に、Sandra Mitoriの著書を参考にしながら比較している。





 
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